脱脂粉乳
小学校の給食では、コッペパン、鯨の竜田揚げ、イルカの味噌煮など、それにミルクは毎日出た。
ただ、このミルク、脱脂粉乳は、アメリカの家畜の餌を日本の子供達に出したモノだとか言われていた。
給食室の横にボール紙で出来たドラム缶がいくつか並んでいて、その中に脱脂粉乳が入っていた。粉状のモノで、給食のおばさんが大きなヒシャクですくって、お湯が沸いた大きな釜の中に入れてミルクを作っていた。

半分くらいの生徒は、この脱脂粉乳を臭いと言って、飲みきれないで、残した。
ボクは、それほど好きではなかったけど、飲めないほど嫌いではなかった。
他人の分まで飲んだこともあった。

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良い悪いは別にして、脱脂粉乳がユニセフからの寄付だったと知ったのは大人になってからでした。

ユニセフは第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)まで15年間にわたり、日本の子どもたちの健康、福祉を増進するための支援を続けました。戦後当時の日本の子どもたちは深刻な栄養不良に脅かされ、衣類や生活物資にも事欠く厳しい生活を強いられていました。
ユニセフは、脱脂粉乳、衣料用の原綿、医薬品などを届け、その支援総額は当時の金額で65億円にもなりました。


ガリオア資金、エラ資金

http://www.a50.gr.jp/jp/garioa.html



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