ブラジル移民
 小学校5年生の時、クラスの友達がブラジルへ移民するコトになった。1958年、昭和33年のコトだ。
 
 冬休みに入る数日前、授業が始まる前に先生が白鳥Y子さんを教壇へ呼んだ。
 「今度、白鳥さんは家庭の事情でブラジルの学校へ転校します。冬休みに入ったらアルゼンチナ丸という大型の船に乗って一ヶ月近くかかってブラジルへ行きます」
 
 「今まで仲良くしてくれてありがとう。一週間後くらいに船に乗ってブラジルへ行きます。住所はまだ分からないけど、分かったらみんなに手紙を書きます。」

 Y子さんとは5年生になってから、すごく仲良くなった。席も隣で給食の当番も一緒にやることが多かった。そうそう、給食の時は机を4つか5つ連結して、その上に厚手のクリーム色をしたビニールを被せた。いたずら書きだらけの机をキレイに見せようとしていたと思う。コッペパン+鯨の唐揚げorイルカの味噌煮&脱脂粉乳の記憶がある。

 脱脂粉乳という言葉は大人になってから覚えたんだけど、その時は牛乳だと思っていた。嫌いな人が多いけど、ボクは好きな方だった。
 Y子さんはその牛乳が嫌いで、飲めなかった。でも、飲まないと先生に怒られたりした。で、代わりに飲んであげたりした(笑)。

 子供の頃って「好きな子をいじめる」ことってあるよね。スカートめくりなんかはしなかったけど、抓ったり突いたりした記憶がある。

 「ガ〜ン!」ショックだった。地球の裏側の国がどんな国なのか判らない。もう会えないのだな…と感じた。翌日、お小遣いから鉛筆を1ダース買って、プレゼントした記憶がある。
 多分、これが初恋だったかもしれない。幼心にすごく悲しい想いをした。


セピア色の思い出(笑)


                      ◆           ◆

 大人になってから、当時ブラジルへ行くと言うことがどんなコトだったのか理解した。日本は本当に貧しくて仕事が無い人達がまだまだ多かった。その仕事捜しのために新天地を求めて行った…と言うことを理解したのは、世間、世界を観るコトが出来るようになってからだった。



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