川遊び

 小学校時代、昭和20年代後半から30年代の初め頃、まだまだ日本は貧しい国であった。子供の遊びはと言うと、野・山・川で遊ぶ事が多かった。ゲームセンターなんて云うモノはあるはずもない。

 夏になると毎日のように近所の悪戯仲間達と安倍川とか藁科川に行き、川遊びに励んだ。 アルミの弁当箱にご飯を詰め込み、鰹節を掛け、赤色の6尺フンドシ或いは紐と手拭いを持って毎日のように安倍川、藁科川へ向かった。みんな白いショートパンツ、ランニングシャツ、薄汚れたズック靴、そして麦藁帽子だった。
 自転車に乗れる子は自転車に、自転車が無い子は乗れる子の後ろとか前に乗って出かけた。
 近所に釣り道具屋があって釣り針とかウキとかタモ或いはヌカ瓶なんかを買って出かけた。釣り竿はその辺に生えていた竹の枝であった。
 今思うと映画「スタンドバイミー」のようだ(笑)。まさしく毎日がアウトドアライフだった。
 安倍川の砂利採取の穴(ドカチン)に飛び込んで遊ぶのが好きだったが、泳ぎ疲れてからその穴の壁を登ろうとすると、ズルズルずり落ちて蟻地獄状態になって、事故が何度か発生した。危険なので学校で禁止されたけど、ドカチンの水は凄く気持ちが良くて大人の目をかすめて飛び込んだ。ハヤとかオイカワが気持ちよく泳いでいた。
 
 安倍川の支流、藁科川に<木枯らしの森>という川の中に小さな小山があって、その周辺では川魚をイッパイ採った。泳ぎながらその森で飯盒炊爨もやった。当時、米は配給制度の名残があって充分ではなかったが、手のひらに乗るくらいの量を各自手拭いに包んできた。

 木枯らしの森の廻りには何カ所か淵があって深さも3mくらいはあった気がする。森の木にぶら下がってターザンのように飛び降りたり、左手にオモリになる石を、右手に銛を持ち、深い場所にいるアユとかハヤとかオイカワをねらった。
 魚を捕まえることが出来れば、悪戯仲間の中で威張ることが出来た。その辺にある小枝に魚を刺して焼いたて塩をかけて食べた記憶がある。


 いつから泳げるようになったのか記憶もない。当時泳げない子も居たはずなのに気にしたこともなかった。水の中でも目立つ白い石を淵へ誰かが投げ込む。それを捜して拾い上げてくるんだけど、そんなコトを川あるいはプールでやっているウチに、みんな泳げるようになってしまったのかな。

 身体が冷えてくるとコンクリートで作った護岸に寝ころんで暖を取った。なにも怖いモノはない時代だった。遊び疲れてそのまま眠ってしまって暗くなってしまったコトもあった。恐いモノは何もない時だった。



 戻る