富士下山
2001年

 夏8月、仕事先の社長S氏が声を掛けてきました。
 S氏「先日、富士山へ登ってきたゾ。頂上で雨が降って御来光を見れなかったけど、良かったナァ。もう一度、御来光を見に富士山へ行きたいナァ」
 ボク「社長!、富士山は一度登ったらOKですよ。富士山は登るモノじゃなく、降りるモノなんですよ(笑)」
 S氏「エッ!、登らなくては降りれないじゃないか!」
 ボク「まあ、それはそうですが、みんな富士山へ行くと云うと富士宮口の場合、車で新五合目に行って、それから瓦礫の上を六根清浄とか云って登るわけですよね。じゃあなくて、その新五合目から降りてくるのです(笑)」
 S氏「ほうほう、フムフム」
 ボク「それは、困難さは登る方がありますが、面白さは新五合目から下の方があるのです。だって、新五合目から下の方が、森が綺麗で傾斜も緩やかで見るモノが多いんです。それに車で新五合に行って、歩いて降りてくるのですから、登りはほとんどないのです。車はもう一台の車を下に置いてて、その車で後で新五合目に置いた車を取りに行きましょう」
 S氏「フムフム、面白そうだな。富士山スカイラインの車道を降りてくる
のか?」
 ボク「じゃあなくて、富士山スカイラインが出来る前の、そこに至るための林道、小径を降りてくるのです。綺麗ですよ。富士登山は若い人に任せてボクらオヂサンは軟弱の方を選びましょ!(笑)」
 S氏「おお、行こう、行こう!!」
 ボク「降りた後、温泉にも行きましょう!」

             ◆           ◆
 
 富士山には中学生の夏に1回、高校時代の冬10数回行きました。でも、頂上へまで着けたのは中学の時の1回と冬の3回でした。
 まあ、それはそれとして…今の富士宮口新5合目は当時は3合5勺と呼んでいました。誰が変えたか知りませんが、ある年から「新5合目」という名前が付いてしまったのです。富士山の森林限界の約2400m地点です。

 ほとんどの人は富士山へ行くと云うと、新5合目から登山をして頂上を目指すことを云います。今では新5合目から下の山麓は見向きもされません。
まあ、見向きもされないことが良いことなのです。

 富士宮口の富士山スカイラインが出来る前、7月8月の夏山富士登山では3合5勺(現新五合目)までバスが運行されていましたが、その時期以外は1合目の下の村「篠坂」でバスを降り、6〜8時間かけて2400m地点まで登ったモノです。もう30数年以上前の話です。
 夏以外はバスは新五合目まで行ってません。また無雪期だったら富士宮駅からタクシーに乗って行けたんですが、高校生には無理な話です(泣)。 富士山の原生林の中を歩いて登っていくのです。すでに壊れて苔生した1合目、2合目などの休憩所跡もありました。

 高校時代の土曜日、昼に学校が終わり帰宅して、山支度して、国鉄静岡駅から汽車に乗って富士駅、富士駅から身延線に乗り換え富士宮駅、バスに乗って篠坂へ着くのは午後3時過ぎでした。
 そこから小径を歩いて、3合5勺小屋(現新5合目)の小屋へ着くのは、夜中の11時過ぎでした。小屋の中で仮眠して、午前3時に頂上へアタック開始…というスケジュールでした。
 
 ここ20年間の間、1or2年に1度、秋あるいは春に、この小径を新5合目から歩いて下ってきます。歩く人も居なくなって以前は荒れていて倒木などが沢山ありましたが、最近ではこのような小径に<癒し>を感じるようで、小径に入る人が増え、枝に赤布の道しるべが付いています。この小径は途中までは富士山スカイラインを横切ったり、すぐ横を通ったりしていて、スカイラインへ途中から抜け出ることも可能です。だから仲間と車で行って、お互いに無線、携帯電話で連絡しあって運転手交代も可能なんです。また、車2台で行って、1台を下の駐車場に置いてピストンするコトもOKです。

 秋には唐松の林のなかを木洩れ日に誘われて降りてきます。足首まで埋まる落ち葉の中を降ります。また、ゴールデンウイーク後の夏前には雪解け水が吹き出ているところもあります。風倒木のなかを歩いて降りてきます。日陰は苔むしていて、屋久島のようです。(行ったコトはないけど(笑))

 体力が無くなった現在(泣)、富士山は登るモノではなく、降りてくるモノだと思っている今日この頃です(笑)。


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 富士山剣が峰大沢(大沢崩れ)の昭和30年代の写真


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