宗教観
1996年

 ボクはある種の宗教観を持っている。いや、持っていないと言うべきかもしれない。

 平成元年に亡くなった父が非常にお寺を好きだった。お寺は落ち着く…と云っていた。親父に連れられて小学校低学年の頃からお寺の行事にはよく参加した。一泊二日の静岡の洞慶院へ座禅に連れて行かれて、早朝寝不足でダウンしたことを覚えている。ボクもお寺は嫌いではなかった。

 19歳の時、東京の大学へ行ったが親に勧められてお寺に住むことになった。大本山永平寺東京別院だった。当時は麻布笄町と云ったが、今では西麻布と呼んでいる。六本木から渋谷の間にある場所だ。当時は、まだ都電が走っていた。坊さんになるために駒沢大学へ通っている生徒とか世界中から仏教を勉強に来ている外国人と一緒に寝起きを1年間したのだ。

 後に曹洞宗永平寺の貫首になった丹羽康芳氏が東京別院の貫首であって色々のコトを教わった。また、奥座敷には「広辞苑」と並ぶ「広辞林」の編者金沢庄三郎氏も余生を送っていた。食事を持っていったこともあった。
 古い本堂の納骨堂をカーテンで仕切ってボクの部屋を作った。
 毎朝4時起床。禅問答を1時間、座禅を1時間、何万坪の境内の掃除、朝食と続く。精進料理と云うモノは余り食べなかった。
 また外人が仏前結婚をやりに何組か来た。

 「正法眼蔵」と云うのも読ませてもらった。よく判らない(笑)。ただ、色々な人の解釈を教わった。

 お寺は本来勉強をするところ。決して葬式をする場所ではない。時の政府によって一般の人も葬式をお寺でやることになったが、以前は大名とその家来だけだった。
普通の人は野山に埋められて卒塔婆の一本も立てて貰えれば良いほうだった。お寺に埋葬して貰える人は限られた人だったのだ。その証拠に地方へ行くとお寺のないところにお墓だけ在る場所がたくさんある。

 お寺にいる一年間に学んだことがある。
 四苦八苦という言葉だ。
 生病老死 (生老病死)
 愛別離苦
 怨憎会苦
 求不得苦
 五蘊盛苦
 
 人は皆生まれて病んで老いて死ぬという苦しみを持っている。
 愛する人ともいつかは別れなくてはならないと云う苦しみ。
 憎んだり嫌いな人とも会わなくてはならない苦しみ。
 欲しいと思うモノが手に入らない苦しみ。
 5つの欲望(色=肉体、受=感覚、想=想像、行=心の作用、識=意識)が盛んになってしまう苦しみ。
 …のようだ。

 ま、タイしたことを勉強したわけじゃあないけど、我が家の初詣は「自分のお寺」安倍町の報土寺へ行くことになっている。
 どこの誰が祭ってあるのか判らない神社、お寺へ行くよりも、「まず自分のお寺」へゆくコトが我が家の初詣になってる。




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