| 職業観 |
| 1995年3月 |
| 1992年〜1994年にかけて常葉短期大学美術デザイン科と云うところで生まれて初めて教壇に立った。何故に講師になったかという質問は別にして、生徒をいろいろな会社に就職させるために仕事、業種というコトを考えてみた。 ●日本経済の引っ張り役は……?。 明治時代の中場、帝国大学卒業のエリート達は、三井三池炭坑へ進みました。明治の後半から大正に掛けてエリートは八幡製鉄、三保造船、金指造船等へ行きました。 大正時代の中場にはエリートは日東紡、倉敷紡績、鐘淵紡績などへ行きました。ちょっと違うトコで豊田自動織機株式会社、鈴木式織機などへ進んだ人も居たと聞きます。 戦後、日本が復興を目指す頃は東京大学を出たエリート達は日本長期信用銀行に進み、日本経済を立て直す役目をしました。東京オリンピック後、日本経済は目覚ましい発展を遂げたわけですが、池田内閣は所得倍増を唱え、昭和47年頃だったか、田中首相は日本列島改造論を唱え、それ以後に建築住宅業界が「産業」云う名前が付いてきたのではないでしょうか?。 住宅金融公庫、住宅ローンなどの融資制度を作り、政府が住宅政策をあおりました。住宅金融公庫は最初の頃は「抽選」だった記憶があります。その頃、多くの学卒者達は商社、建設会社などへ進んだようです。 ボクが40歳の頃、普通大学を卒業し証券会社へ就職した女性とちょっとお付き合いをしたんですが(笑)、すごかったです。彼女23歳。その入社した年の暮れのボーナスが143万円だったのを覚えています(驚)。それほど大したことはない証券会社でしたが、彼女の上司は1000万円を越しているとも言ってました。当時がバブルの始まりの時ではなかったかと思います。 そのような変遷を経ながら、日本経済は発展してきたと思います。まさしくボクたちは経済の歴史のド真ん中にいることを実感します。 「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」 明治中場、エリートが進んだ黒いダイアモンドと云われた石炭業界は今ではどうなっているのでしょう?。代替エネルギー化が原因で不況業種になったわけですが、現在でも需要はゼロにはなっていません。低いですが需要はあります。 明治後半、エリート達の向かった先の重厚長大の鉄、造船産業は今やどうなっているのでしょうか?。不況業種ですが造船需要ゼロになってるわけじゃあありません。静岡県清水市にある三保造船、金指造船は現在更正会社なってます。でも、古くは東大出の社員がゴロゴロも居たと聞いています。東大舟艇工学出身者なのかな。 大正中場から昭和に掛けてエリート達が集まり、日本経済を引っ張ってきた繊維業界の現状は?。その織物機械を作っていた豊田自動織機の現状は?。鈴木式織機株式会社は?。 また、戦後を立て直して来た日本長期信用銀行の現在の姿は?。 東京オリンピック、昭和38年の時は高校2年生でした。当時、静岡県立静岡工業高校の建築科は大いにもてはやされて、ランキングは静岡高校と並ぶほどでした。昭和49年のオイルショックにかけて、工業高校建築科のランキングは上昇していったようです。昭和50年代後半からランキングは下がり始め、今やその建築科のランキングは最低です。受験者が定員を満たしていません。なんでしょう?。大学の建築科も似た感じだ…と聞きました。時代が建築というモノを必要としなくなってきているのです。でも、ゼロにはならないでしょう。 このような歴史を見てみると、エリート達の行く先は、常に国策として国のカネが動いて行く先です。ボクが大学卒業以来、たずさわっている建築、住宅業界も終わろうとしています。箱モノ行政は終わりました。住宅も人間が増えない限り増えません。2億7000万人居る米国での新築戸数は、昨年今年は好況のため90万戸です。360万人のニュージーランドでは新築戸数は7000戸です。1億2000万人の日本で毎年100万戸を越す新築は異常でしょう。…と云うより、この産業、民需によって日本経済を上昇させてきました。 ちなみにニュージーランドでは住宅産業と云う産業が無いと聞いています。彼等は云います。「だから豊なんだ」。可処分所得が少ない分、 その所得を「人生」に向けることができるのだ。 日本経済は「消費は美徳」を煽って、持ち家自体も消耗品にしてきたのです。しかし、ここへ来て100年住宅を目指しています。高耐久住宅です。言葉のアヤですが、25年で立て替えてきた住宅を100年の寿命にすれば、自然に住宅着工率は25%になります。 ボクたちは「とんでもない時代」に生きている、生きて来たのかもしれません。 では今からの経済の牽引役は?。 |